ちょっとの手間、不調が続く、姉と妹

続編の放送やらんかなぁ、普段あんまりテレビを見やんけど、特別な事件も起こらず歓喜や憎悪もない、普段通りに陽が登って日が沈むようなドラマは、気持ちが波立つことがなくて、楽しく視聴できるから好き。

やっとレシピ本借りることができた。自分にも作れそうなのがいくつか。正確になぞれなくても、似たようなのを作るときのヒントになればと。「ペーパーで水気をとる」「粗熱をとる」「熱湯で軽く湯がいておく」とか、つい面倒でパスしがちな手間を惜しまずにしなきゃな。

月曜の深夜、銭湯の掃除が終わって日付が変わるころ、腰のあたりに違和感。自宅の玄関入った時には、まともに立っていられないほど。翌朝火曜日がMAX。今月初旬から久しぶりに腰痛が出て、それを我慢しつつ電気の講座を座りっぱなしで受けて、その週末は六甲山をバカみたいに走って、先日は18切符で座席に三日間張り付けば、

結果はおのずと。

ぎっくり腰は、一つの動作に何分かかるねん?ゆうほどスローモー。体がどんどん強い負荷に耐えられなくなっている。

お袋が入居しているホームに妹(自分のおばさん)が面会に来てくれた。お袋同様ながらく一人大阪で暮らしていたが、それも限界となり、娘の住む北海道の高齢者施設に入ることになった。一応お別れの挨拶ってことだったが、おそらくこの姉妹がこうして会うのは、どう考えたってこれが最後になると思う。

お互い認知症ではあるが、話すことは二人で手を繋いで小学校へ行った時のこと、野良犬に餌をあげに行って追いかけられたこと、妹のためにリンゴを切って指を切ったこと、共通の思い出がとめどなく溢れてきていた。あと数分後、じゃぁまた来るからねと言ってホームの玄関を出たら、姉妹で共通の思い出を新たに作ることはもう出来ないけど、自分にはどうすることもできない、時間をどうにかするなんてこともできない、姉妹の思い出を凍らせたり溶かしたりも出来ない、とても悲しい。

この日初めて姉妹の年齢は二つ違いってことを知った。子供に対してはきつい育て方だったお袋に対して、いつもおばさんがかばってくれた。自分だってそんな優しい人にもう会えなくなる。

おばさんの娘、自分にとっての従姉妹も随分今回は大変だったと聞き、自分の時のことを思い出した。介護認定やら包括センターの手続きとかホーム探しと見学と何もかも知らないことばっかり、焦っては手探り、落ち込んでは元気出してと、よくやったなぁと思い出す。

別れ際、姉妹がハグするのを初めて見た。小さい頃のお互いの背中の温かさ、柔らかさ、思い出せたたんだろうか。普段は会話したそばから忘れてしまうけど、もう会えないって事実だけは、忘れてもいいよ、思い出さなくてもいいよ。

おばさん、ありがとう、さようなら。

青春18課金、ひたすら腰が痛い、今後は

観光らしい観光もせず、朝から道後温泉を後にする。造られ過ぎた、金の匂いのする、観光地はやっぱり苦手だ。

観光のシンボルとかで無理矢理なノスタルジの押しつけに見えてしまう。観光資源で盛り上げるってのは難しいんだろうけど、ちょっとどうかな。

松山から坂出まで特急で移動。青春18に限らず、鉄道の長旅にコンセントの有無は大事。スマホあっての日々を痛感せずにはおられないから。

中学卒業後、高専の寮に入って二十歳過ぎまで過ごした駅。40年の経過は特急列車の速度以上に速かった。窓越しに流れる駅舎、後方に飛んで行ったのを見て、ふとそんなことを。

夏休みで帰省するときは歓喜の駅になり、休みが終わって戻ってきたときは絶望の駅になった。自分で自分を励ましながら諦めて次の冬休みに希望を見出す、ことを覚えた当時「自分で選んだ道だもの」という言葉は、多分16歳当時に芽生えたような記憶。

もう2度と訪れることの無い駅、さよならだ。

久しぶりに正規の18切符で海を渡り岡山へ。

新幹線の改札を入る手前でまたもや駅蕎麦を。冷凍麺を上手に湯掻いてある。

さらに課金行為。初めての18切符が確か山陽本線で、この区間の「普通すぎる普通の通勤通学電車」にひどく落ち込んだ。車内で飲む筈だった缶ビイルの入った袋をぶら下げて、ひたすら吊革を持って福山駅まで揺られた。酒を飲みながら車窓を眺めるなんて幻想だった(路線によりけり)のかとがっかりしたので。

姫路から最寄り駅まで、最後の正義(18切符)を振りかざす。姫路始発の”新快速”のシートに座った瞬間、「これや!これ!」と妙に納得。普通料金で乗れるのに、四国で乗ったどの特急よりも速い速度、通過する駅の多さ、緊急事態(突然の便意、尿意)で下車しても数分後には後続が惜しげもなくやってくる圧倒的な破壊力。

色々文句を言いながらも、また次の18切符シーズンはどこかへいくと思う。でももう、一泊2日でいいかな。なんせ、

腰が痛い。

おしまい

青春18課金、松山に何があるというのだ

宇和島滞在30分。もはや何の罪悪感も後悔も未練もなく「特急券」を買う。そして松山へ。なんだろう、この快適な鉄道旅は。青春18切符って自分にとってなんだろう。少ないお金で自由に下車してのんびり旅を楽しむに憧れて毎回色々行ってみたけど、

普通列車の本数の少なさ、乗り換えの旅に”同業者”との熾烈な席取り合戦に勝利すべく、階段をダッシュしたり、長時間トイレを我慢したり。気力と体力が充実していなければ、ちょっと辛くなってきた。

松山駅のホームに小さな駅蕎麦の店があった。規模の小ささでいいうと、塩尻駅の駅蕎麦よりちょっと広め。

色鮮やかな山菜蕎麦。松山はどうやら「鍋焼きうどん」の地らしい。メニューも鍋焼きうどんが分厚い。けど、急ぎの時に獄熱の鍋焼きうどん食べるとか、ダチョウ倶楽部しかできやんと思う。

路面電車をぼんやり待つ間に、気になる黄色の店。日本国内での元祖だったら行くべきだが、自宅の近所にも元祖が二軒ほどあるので、多分自称元祖かもしれない。けど、黄色のテントいいねー。

宿は道後温泉の中にあり、正岡子規記念館とか坂の上の雲ミュージアムとか漱石の何とかとかてんこ盛り。あとは街中に妙な既視感があって、なんだろう何だろうと考えて、わかったことは、

「有馬温泉にそっくりやん」。

道後温泉工事中。入浴だけできるみたい。自分は入らず。そもそも整理券をもらって指定された時間に入って出てという仕組みは、ちょっと苦手。自分のバイトしてる銭湯と比べることは失礼だが、気の済むまで入ってぼーっとできる方がいいかな。

やなせたかしは高知の人であって愛媛関係ないやん、もう、いかに四国の鉄道はやなせたかし頼みなのを痛感。

青春18課金、宇和島の遠さを思い知る

予報通り朝から雨。この日も「課金」でスタート。高知から土讃線の終点?窪川駅まで特急。

天気が悪いのと残念ながらあんまり特徴の無い里山とか平野部を単調に走るだけ。けど、小池さんは時刻表さえあればご飯二杯はいける人なんで羨ましかったりする。まぁ確かに、乗り継ぎのヒリヒリ感を味わうにはスマホ時刻表はダメだ。複雑なダイヤの抜け穴を探すには、やはり「紙の時刻表」に勝てない。

窪川に着いた。本当になーんも無いけど、目障りな「架線」が一本もない潔さ。気動車天国。ディーゼル王国。

自分は時刻表あんまり興味無い代わりに、線路とか枕木が大好き。特に、木製だったり、信号を伝える頼りないレールボンド(番線のこと)だったり、古臭い「犬釘」がガッチリ線路を支えてるとことか、たまらん。

もっと好きなのは、真冬にポイントの切り替えが凍らないように、線路の下に火の着いた缶カンを置いてあるシーン。見たら「うぉ〜!!!」てなる。

次に乗る、予土線の各駅。一両編成のキハで最大の試練「この先2時間半、トレイ無し」。身体中の水分を出し尽くすため、発車まで何回も便所へ。

その間小池さんは駅の外を探索しに行き、有名な四万十川産のうなぎを使った弁当を確保してきた。しかも焼きたて。あんた凄いわ。

けど、一両編成のロングシートで弁当食べるのは、勇気いった。

四万十川の沈下橋とか桜がちらほら。あと、予土線、トンネル多いし、カーブ多いから速度遅い。途中、対向列車とのすれ違い停車で、トイレに行けたので、大惨事にならずに済んだ。滅多に事件の起こらなさそうな田舎で、大阪からきた男性、車内でしっこ漏らすとか、絶対ローカルニュースになりそう。

何もない宇和島。こっから足摺岬までバスで2時間とか書いてあるのをぼんやり見る。ここを目的地にして旅をすることは、この先永遠にないだろうなぁ。

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