円安と鹿、認定って何?3連勤

あまり目的も無く、奈良へ。

駅の一歩外に出ると、日本と日本以外の世界中の人で、地面が埋め尽くされてた。

氷室神社の謎の行列。BOØWYの聖地だったりして?とか

鹿は人の間を縫うように、人は鹿の間を縫うように、妙な体系で共存している感じ。

これはほんの一例だが、外国の人の動物の溺愛ぶりは凄まじい。多分地元で牛とか馬とか飼ってるのかも。登山に行くと野生の鹿や猿と出くわすことがある。奴らのほとんどが「マダニ」や「山ビル」を媒介するので、絶対に近寄ったり触ったりしない。

奈良公園の鹿は大丈夫と言ったって、やっぱりベタベタ触るのは良くないし、鹿にも失礼かなと。

人混み(と鹿混み)を逃れて若草山に登る。

大勢の幼稚園の遠足の日だったみたい。となりのトトロの「さんぽ」って言う歌(あるこー、あるこー、わたしわーげんきー ってやつ)を合唱しながら自らを鼓舞し(鼓舞させられてる)、べそをかきながら登る姿に思わず感動する。

ローラー娘の時も、うちの5歳児も、同じ歌で歩かされてきたのか。凄い歌だ。

頂上にたむろする連中。鹿せんべいも持たない人間(自分だ)には、全く興味がなさそうに一瞥するだけ。それに、地面の黒いブツは、彼らの排泄物だしで、お互い適度な距離感で済ませておくのが良い。

若草山の頂上から奈良盆地をぼんやり遠景できたのは良い気分転換になったけど、道中の人の多さはとても疲れた。それと同時に、海外の旅行メディアには、奈良はどんな感じで紹介されてるのか興味深い。

講習を受けたことすら忘れていた認定証が届いてた。しかも超絶冴えない写真。仕事の幅が広がるとか転職に有利とか色々世間では言われているけど、どちらも自分には縁がないし、講習の最中もこれを持っていると何ができるのか「さっぱりわからなかった」。

でも、自発的に勉強した俺、偉いって事実は大事。それでなくても脳のシワは日々急速に目減してるので。

今日から世間はGWで、今日から自分は銭湯の3連勤。去年の日記を見返したら、全く同じだった。湯を沸かして番台に座っていても、いつものように常連がどっと押し寄せてくることもなく、表に出した暖簾が風に吹かれてゆらゆらするのを、ただぼんやり眺めてるとか、近所の野良猫が玄関の前で入りたそうにじっとこっちを見て、またどこかへ行ってしまうだとか、

365連休の自分みたいなものにも、GWの空気は平等に、穏やかです。

麺と肉、歓迎会

久しぶりに日記の短期更新。

日々のジャスコパトロールで思わぬ幸運に巡り合うことがある。自分の好き度ランクで言えば、一位:かしわ、二位:豚、三位:牛 なんだが、このプライスを見た瞬間は「一位:牛」に。そして家族の晩飯は予定調和で、すき焼きにした。

けれど肉は流石に全部食えないので、翌日の自分の昼飯用に回して牛丼にでもアレンジしようかなと思ったところ、再びのジャスコパトロールで、妙な物を見つけてしまった。

蕎麦は以前に食べたことがあって、大企業の力を大いに感じた(味的に)ので、それならうどんの実力もそーとーなもんだろうと期待。

すき焼きの肉を乗せたカレーうどんに。肉がうまいのは既定路線で、問題のうどん。

カップのどん兵衛が3ランク特進。専門家が頭を突き合わせて考え、何遍も社内の検証会議をくぐり抜けたうどん、ようこそ!って感じ。

で、今日の日記の核心は肉でもうどんでもない。

昨晩、バイトしてる銭湯仲間で全体集会(いわゆる宴会)があった。本来の名目は「新加入の掃除仲間の歓迎会」。だったけど、残念ながら新メンバーはゼロ。Twitterだけの募集告知はやっぱり限界がある。(近隣の飲食店の何件かは、チラシやフライヤーを置かせてくれる話があるので、そっちも今後は活用予定)

普段は掃除の時に会話する程度か、近所を歩いてる時に偶然出会って立ち話とかなので、じっくり色々話せてすごく楽しかった。

ミュージシャン、漫画家、木版画アニメーター、劇団員、筋トレジムのインストラクター、数名のサラリーマン。しかもほとんどのメンバーが銭湯の二階だったり近所の安アパートだったり、大半の子が「夢のいっぱい詰まった風呂なし四畳半」で狭いけど楽しそうに生活している話をしてくれて、妙な元気をもらった。

恐らく、彼ら、彼女らの両親より自分は歳が上だと思う。けれどこうして一緒にガバガバ酒を飲み、ワハハワハハと笑っていられるので、「今が一番若いと思って、好奇心に蓋をせず、異世界に飛び込んでよかった」と思える時間。

好奇心と冒険は一生続く、ダメでも悲しいことがあってもそれを楽しむ、生きてる実感はどこにでも落ちてる、それを彼ら彼女らから教えてもらった気がするので、

5月23日から今年も富士見パノラマの山小屋で少しの間、働くことにした。

明日も、魂が錆びないように。

十割蕎麦、選んだ道は正しかったのか、胃の中、観音寺へ

ウォーキングで心斎橋方面へ。腹が減ったので何か食べなきゃと思っていたら、最近オープンしたらしい十割蕎麦の店発見。京都の油取り紙「よーじや」の外食産業。

端的に言うと、やっぱり自分は十割より二八が好きだな。それと、出汁を飲んだ後にベロがちくちくするのはダメだ。ミリンをちゃんと飛ばしてない以前の問題。もっとも、この店舗の自分が最大に「嫌だな」と思った点は、「おにぎり」。

広げたラップにご飯を乗せて手のひらで押さえましたと言う工程が目に見える。せめて、型に抜いて三角にするくらいの手間をかけたらいいのに。作っている人はこれが美味しく見えるのなら、仕方ない。

それだけの店ってこと。

ソプラノの方のウクレレの4弦をLow-G、つまり低音用に変えてみた。音の幅が出る反面、曲の途中でいきなり音階が変わってしまうので、難しい。けど、こんな些細なことでも音楽が楽しくなるならそれでいいかな。学校教育の音楽の授業はとてつもなく苦痛だった。楽しさに気づくきっかけって大事。

 ウクレレに飽きたら公園で曲芸の練習。もうかれこれ4ヶ月目になると言うのに、いまだ一つの技も満足にできない。買ったときの興奮や喜びもこれでは薄まりつつあり、公園に行く道中も、ああどうせ今日も進歩ないんやろなーとか陰鬱になる。

ギリギリ楽しいと無理矢理思い込む状況はまずいよな。諦めずにいつかできると信じて続けるか、ゴールが見えず報われるかどうかも約束されていない行動をやめるべきかどうか、今はまだわからない。

選んだ道が正しかったと言えるように、まだもうちょっと続けてみようか。

土曜日のこと。胃カメラ飲みました。

10年ぶり。この10年の医学の進歩はめざましく(?)、腕に鎮静剤の注射を打って、ベッドに横になり、口にカポっとでかいチクワをはめられた以降の記憶が

全然ない。

眠っている間に人造人間に改造されても、これでは絶対多分わからん。かといって、今更年齢制限もあり、ヒーロー戦隊への加入も難しいので、来年も胃カメラ飲もうと思う。

その足で、、、というかその胃袋のまま、観音寺へぶらっと。

雑誌でぼんやり見た里山に登ったダケの街、観音寺。

18切符で特急列車に乗り換えたダケの駅、観音寺。

17歳、田んぼばかりの中で唯一レコード店があった町、観音寺。

「青春デンデケデケデケ」のロケ地、観音寺。

駅前の小さいビジネスホテルに泊まり、小さな寿司屋を見つけて刺身と地酒の夜。用もないのに行く町としては、自分にはこれ以上無い町、観音寺。

今日はこれから銭湯バイト。先週の今日はゼツボー的に体調が悪くて、釜場で殉職するんじゃないか?と思ったほど。風呂屋あるあるな事件もあったりで大変だったけど、今日は穏やかに流れたらいいな。

ピタゴラスイッチ、家事の季節、三か月経過、桜の山

先週の「看病の奮闘」を記録。5歳くらいの人間は、”動的な工作”に目がないので、廃材を利用してそれなりのものを作ってみた。もう、折り紙で恐竜とか作ってもふーんって感じなので。

オセロの相手もする。角っこをとれば有利だと何度言っても理解できないので、テキトーに負けてやる。けど、負けてやろうと苦労したのに勝ってしまうこともあって、大変。

集中力が極端に少ない年齢、ドミノは苦戦。途中で無惨に倒れてギャン泣きを数回。やれやれ

終盤、甘めのカレーを作ってみた。小麦粉を炒めてのカレーは結構手間。保育園での躾なのか、お皿をちゃんと持って食べるのには感心した。自分もまだまだ「美しく食べる」ということでは発展途上なので、偉そうに言えないから頑張らねば。

無事にインフルエンザのお世話が終わった日、自分の練習再開。ダニエルがやっと2回続けてできた。それに気を良くして、マニュアルという技(漕ぎを入れずに勢いだけで前輪上げて走るやつ)を初めてやったら、3回目に数メートルできた写真。

俺、結構やるやんと思った途端に前輪が捲れ上がって、背中からモロに落ちて息が止まり、のたうち回る羽目に。

わずか2回ダニエルするだけで、実に3か月もかかった。本来どれくらいの期間世間は練習するのかとネットを叩いてみると、3か月間手も足も出ませんでしたというのが普通らしい。中には一年近くやってるけど、ダメだというもの。

とても老衰までに間にあわへん。

けれど、少しでも楽しさが感じられる間は続けようと思う。

世界三大面倒臭い料理の一つ、酢豚を作ってみた。ただし、豚ではなく「かしわ」で。もう何十年も続く、小池さんの春は業爆の季節。家事全ての権力を委譲されているので、勢いを付けるとかと思って。

自分のような素人とプロとの圧倒的な違いは「片栗粉」の使い方かも。作るたんびに濃度が違うのが悩み。

土曜日のこと。六甲山へ。ハイキングの人で道は数珠繋ぎ。人気の無い森の中へ逃げ込みぼんやり。

阪急電車、岡本駅の方へ下山。まだ散り残る桜がたくさん咲いていたりその横でツツジがほぼ満開だったり、気温は25度近くまで上がってたり、ここ数年の「春の短さ」を今年も感じた。来月から夏が始まったりして、そして長くて暑い夏が年末キワキワまで続いたりして。

エアコン全開の季節、早くも電気代の心配を。

神戸の港を一望できる神社でゴール。この時は、ああ少し疲れたなって程度だったので昼飯食ってから、自転車の練習を少し。

翌日の日曜も、起床時点で体が重いというかだるかったけど、気のせいだということにして午前中は図書館、昼からは5歳児といつもの「合同練習会」。おそらくこれがとどめを刺した模様で、帰宅後に缶ビイルを半分飲んだとこで突然動けなくなり布団へ。家族の中で自分だけ違う重力を感じつつ。

去年まではこの程度、なんとも無かった、、、ああこれが加齢の現実かぁ。強度や頻度に目をつむるとしても、疲れた細胞が全然元気を失ったままだ。

今、月曜時点でなんとか番台に座ってるけど、ほんまは直前までやばかった。まだもうちょっと、体を長持ちさせないとな、気をつけよう。

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